聖女と悪魔 〜エルネスト〜

 未だ苛烈な太陽が照りつける、秋のはじめの夕暮れ。
 窓から見える斜陽の光をじっと見詰めたまま、一人の少年が静かに死んだ。
 地方にある、小さな修道院の一室でのことだった。

 少年は「サクラ」と呼ばれる最下位身分の修道士で、「サクラ」の仕事の一つである死体の世話をする過程で、病を得て倒れた。「サクラ」にはよくある話で、誰も少年を憐れみこそすれ、その境遇を嘆くことはなかった。そして、「おまえは神のもとへ召される、選ばれた者なのだよ」と優しく少年に語りかけた。
 孤児院を出て、周囲に流されるままに修道院に入った少年は、神のことなどあまり信じてはいなかった。道端や川の中に投げ出された死体が神に愛された者の末路などとは思えなかったし、何より、本当に慈悲深い神さまがいるのなら、自分のような身寄りのない孤児などいないはずだ。
 死んだら神さまに会えるなんてのも嘘だ。夜、目を閉じて眠るように、死んでしまえば後にはなにもないのだろう。ただ、次に目覚めるときが来ないだけのことで。
 少年にとって、死は怖いものではなかった。身体の自由が奪われていく過程や、襲い来る痛みも、どうしようもないと思えばあっさり諦めが付いた。
 それに、自分自身がもう8年も死体の世話をしてきたのだ。自分が死んだ後のことの不安もなにもなかった。
 けれど、ただ一つ、願いが叶うのなら、同じ孤児院で育った少女にもう一度会いたいな、とうっすらと考えていた。
 物語が好きな少女で、少年は彼女によく絵本の内容を語って聞かせたものだ。2歳年下の彼女は字を読めなかったから。
 少年は活発な性格ではなく、外で遊ぶよりも中で本を読んだり手芸をしたりする方が好きだった。だから、同年代の子供たちには「軟弱者」のレッテルを貼られ、仲間外れの状態が続いた。
 ある日、少年が図書室で絵本のページを繰っていると、いつの間にか彼女が傍に来て、食い入るように絵本を見ていた。読みたいのかな、と思って絵本を譲ろうとしても、彼女は首を横に振るだけ。試しに少年が「字、読めないの?」と聞くと、彼女は綺麗な黒色の瞳を大きく見開いて少年の目を見詰め、頷いた。
 その日から、少年と少女は図書室で毎日肩を寄せ合って、子供向けの物語を片っ端から読んだ。少女は次第に字を覚えたが、それでも少年に語ってほしがった。少年も字を満足に読めるわけではなかったから、棒読みでたどたどしい朗読だったはずだが、それでも少女は気に入っていたらしかった。
 それからやがて二人は、孤児院を出て別々の町の修道院へ移ることが決まり、以来、会うこともなくなった。

 二人が別れ、別々の地で「サクラ」として働きはじめた1年後。
 少女――チェレスティーナが、「サクラの巫女」に選ばれ、その数年後には、「サクラ」の中で彼女の名声を知らぬものはいなくなっていた。

 少年は、自分の暮らす町にチェレスティーナの情報が届くと、必ず耳をそばだててその情報をかき集めた。深い藍色の髪と星を散りばめたように煌めく黒瞳が、白い法衣とコントラストを織り成して美しいのだという容姿から、本部のレゾルチスタを差し置いて悪魔を退治したのだという武勇伝まで。少年はチェレスティーナが今も元気に、人に愛されて過ごしていると知ることがなにより嬉しかった。
 同じ孤児院を同じ日に出てから、一方の自分は未だにしがない「サクラ」の一員で、そのことに劣等感を感じることもあったが、そのことを気に病むよりも、自分の役目を精一杯果たすことで彼女に恥じぬ人になろうと心に決めた。
 それにそうすれば、いつか彼女に会える日が来るかもしれない――。

 だが、結局そんな日は来なかった。
 奇跡のような繋がりを淡く期待したが、きっとそう願っているのは自分だけで、彼女は「サクラの巫女」として多くの人に愛され、少年のことなどとうに忘れているだろう。あれから8年経っているのだ。あの頃6歳だった彼女が、幼い頃のことを忘れるには充分な時間が流れている。
 鮮烈な赤色に輝く西日は遠い山並みの向こうへと姿を消し、周囲は夜の帳が下りてくる頃だった。
 夜が来たから暗いのか、目が閉じていくから暗いのか、その判別も付かぬ間に、少年はぷつりと事切れた。
 最後まで、彼の少女のことを考えながら。





 名を呼ばれた気がして、少年は「はい」と応えようとしたが、声が出なかった。それでもなにか返事をしなければと思うのに、動かせる身体がそもそも存在せず、どうしようもないことに気付いた。
 しかし、この呼びかけにはどうしても答えなければいけないと、なにかが強く訴えかけてくる。それに突き動かされるままに、少年は心の中で強く強く返事を続けた。僕はここにいる――!
 すると、今度はすぐ傍で、はっきりと先ほどの声がした。

『おまえの「声」は聞こえた。安心するがいい。どれ、そこから出してやろう』

 出す? どういうことだろう、と内心で首を傾げた途端、突然、自分のいる場所が息苦しい場所だと感じ始めた。息ができずにパニック状態に陥り、声が出るはずもないのに必死に言葉を吐き出そうとした。出して! ここから出して!

『これ、安心しろと言うただろうが。心配せずとも、おまえはすぐに助かる』

 子を諭す親のような貫禄と安心感を兼ね備えた声だった。その声になだめられ、少年の心はすぅっと落ち着いていく。
 そしてほどなくして、なにも見えないと思っていた少年の視界に、薄く光のようなものが見え始めた。その光がとても尊いもののように思えて、少年はそちらへ手を伸ばしていた。先ほどはないと思っていた自分の身体が、今は確かに感じられる。
 光は徐々に強さを増し、伸ばした手が届くかと思った瞬間、身体がひんやりした空気に包まれ、少年は身を縮こまらせた。

「どうだ、久々の新鮮な空気は。土の中でぬくぬくと過ごしとった身にはちと刺激が強いかもな」

 頭上からあの声が降ってくる。それでようやく、自分は地面の上に寝ているのだと思い至った。

「ああ、できんだろうが一応、動くなよ? 今のおまえは地に還りかけた醜い死体だ。それこそ少しでも動けば身体が崩れ出すぞ」

 どこか面白がるような言い種。だが、嫌味には感じない。
 ところで、彼は今なんと言っただろう。醜い死体?

「状況が呑み込めておらんようだが、時間がないのでな、手っ取り早く話をさせてもらうぞ。……おまえの今後の運命を決める問いをいつくか投げかけさせてもらう。おまえは心で強くその答えを唱えればいい。いいか、時間がないぞ。待ったはなし、迷いがあるならすぐさま地の下へ還してやろう」

 どういうことか考えるだけの時間もなかった。
 それまでとはまったく違う、心に深く突き立つような絶対的な声が、少年に降り注いだからだ。

「『汝、叶えたい願いを持つか』」

 叶えたい願い。すぐさまあの少女のことが思い浮かんだ。彼女に会いたい。

「よかろう。『汝、人ならざれども、その願いを叶えんと欲すか』」

 願いを叶えられるのなら、人でなくとも構わないか。よく分からなかったが、彼女に会うだけなら、なにも人の姿ではなくても良いような気がする。だったら、構わない。

「ふむ……。『汝、黄泉還ることを望むか』」

 それが必要なことなら。

「ならば最後の問いだ。『汝、「魔」となりて世の穢れを担うことを是とするか』」

 「穢れを担う」と聞いたとき、瞬時に「サクラ」の存在が出てきた。少年の短い人生の半分以上を賭した、穢れた聖業。
 死体の世話は必ず誰かがしなければならないことだが、穢れに触れるその役目を行うものは同じく穢れた存在として忌み嫌われる。「サクラ」とは被差別者の集団でもあった。
 孤児として憐れみと虐げを受け、「サクラ」となってからは人々の忌諱されてきた。少年は生まれてこの方、人の世の穢れしか知らない。
 だったら、今さら、穢れを担うことになんの抵抗もない。

「なるほどな。おまえはそのように捉えるか。よかろう、おまえは『合格』だ」

 訳の分からないまま問いに答え、訳の分からないまま『合格』を告げられた。先ほどから語りかけてくるこの声は何者なのか、死んだはずの自分は今一体どうなっているのか、それすらも分からない。死んでしまえば生はそこまでで、後は永遠に眠り続けるのだろうと思っていた。それなのに、今、起きているかのようにものを考え戸惑っているこれは一体なんなんだろう……。
 ようやく、それだけのことを冷静に考えられるようになったと安堵した、その次の瞬間――、

「あああぁぁあぁっ!!」

 ヒキガエルの断末魔のような聞くに堪えない叫び声が耳をつんざいた。一瞬遅れて、それが自分の声帯が発しているひび割れた悲鳴なのだと気付く。
 さらに遅れて、全身の焼け付くような痛みを頭が理解して、悲鳴がますます歪んだ。
 少年の中で、彼の記憶の一番最初の光景がまざまざと甦る。前後の繋がりは不明だが、幼い頃、身体に大火傷を負って助けを求め泣き喚く記憶だ。生き物のように肌の上をのたうつ炎は逃げても逃げても纏わりついて、少年を恐怖のどん底に陥れた。
 遠い記憶は痛みまで覚えていないが、そのときの痛みが今、記憶の底から甦ってきたような錯覚に捕われた。
 骨の髄まで焼かれたような痛みに、心臓が早鐘を打ち、悲鳴の合間に短く息を吸えば、肺が焼けただれるようだった。鉛のように重い身体を、それでも転げ回さなければ耐えられない。
 痛みと恐怖に抗う術もなくのたうち回っていると、見開いた目が、揺らめく炎が映を捉えた。その光景が、否応なく過去の悪夢を誘発させて、少年は全身から絞り出すような悲鳴を上げた。耐えられたのは、そこまでだった。



 意識を取り戻すと、そこは人気のない路地の吹き溜まりだった。仰向けに寝転がった視界に、よく晴れた青空と建物の影が飛びこんでくる。
 起き上がろうとすると、身体中がぎしぎしと痛みに軋んだ。息をしようとすると、喉はひりひりと空気が沁みる。
 なにが起こったのか、理解できなかった。

『目覚めたようだな』

 近くで声が聞こえた。あの声だ。
 周囲を見回すが、人の気配はない。「どこ」だか「だれ」だかを言おうとして、喉からどっち付かずな掠れた声が出た。

『わたしに姿はない。強いていうなら、おまえの姿こそ我が姿。わたしは今、おまえと共にある』

 すると、それを証明するように、少年の右腕が勝手に持ち上がった。

「……僕の中にいるの……?」
『そうだ。自己紹介がまだだったな』

 その言葉尻には、愉悦するような笑みが滲んでいたが、少年にはそれがこちらの意図を注意深く測っているようにも聞こえた。

『我が名はビフロンス。おまえらが「悪魔」と呼ぶものだ』

 悪魔。
 人を堕落させる存在にして、神と、神を信じる者の最大の敵。
 彼らはあらゆる方法で人を騙し、陥れるという。
 幼い頃から、悪いことをすれば必ず「悪魔に連れて行かれる」と繰り返し説かれ、漠然とそういう存在はいるのだろうと思っていた。けれど、神さまを信じ切れなかったように、その反対側にいる悪魔もまた、どこかぼやけたものとしてしか感じられなかった。
 それが今、自分の中にいて自分に語りかけている。

「僕はどうなった?」
『おまえは死んで、そして甦ったのだ。一度は使い物にならなくなった身体をもう一度動かすのだからな、身体には無茶をさせたが……、だが、今は問題なく動けるだろう?』

 そう言われて、先ほどの出来事が脳裏にまざまざと浮かび上がった。けれど、意識を失うほどの痛みに苛まれたというのに、全身が焼かれるような痛みだった、という以外は、その痛みをちゃんと思い出すことはできなかった。痛みの記憶というのは持続しないものらしい。
 あのとき自分の身になにが起こっていたのか。それを訊くのは少し怖かったので、話を切り替える。

「僕も悪魔になってしまったの?」
『わたしと身体を共にしているのだから、そうであるとも言えるが……、正確には、わたしの力でおまえを生に繋ぎとめ、その中にわたしが宿っているのだ。だから、おまえは悪魔を媒介しているただの人間、さらに言うなら死体だ』
「死体なら、どうして僕の意識があるの? ただ、身体だけを利用すればいいのに……」
『おまえの願いを叶えるのと引き換えに身体を利用しているからだ。身体だけを利用する手もあるにはあるが、それではただ「死体を動かしている」に過ぎないからな。「動かされている」のと自発的に「動く」ことは似ているようで大きく違う。おまえには自分から「動い」てもらわねばならん』
「……僕はなにをすればいい?」
『わたしに語った願いを叶えればいい。なにかをしたいと強く願う願望がおまえを生かす原動力になる。反対に、すべての願望がついえたとき、おまえは土くれへと還るだろう』
「でも、君にだってなにかやりたいことがあるんだろう? そのために僕の中にいるんだから」
『悪魔に気を遣うのか? 心配せずとも、おまえの願望とわたしの目的は一致することになる。もっとも、おまえの望む形とはかけ離れたものになるかもしれんが……、だが、おまえは世の穢れを担うことを選んだ。そのことは心に留めておくがいい』

 穢れを担うことが具体的にどんなことを言っているのか、それは分からない。ただ、「サクラ」がそうであったように、忌み嫌われる存在になるのだろうな、というのはなんとなく想像できた。なにせ、悪魔の恩恵を受けているのだから。
 そういえば、チェレスティーナは悪魔退治まで成し遂げていたな、と不意に思い出した。
 神に愛された「サクラの巫女」として皆の崇敬を一身に受ける彼女と、そんな彼女に今一度会いたいがために悪魔に身を売った自分。皮肉なくらい対照的だ。

『対照的かどうか、それは分からんぞ。むしろ、あまりにも似た存在になってしまったとも言える。……皮肉なくらいにな』

 少年の心を読んで、悪魔が笑いながら言う。

「どういうこと?」
『「サクラの巫女」の噂は耳にしたことがあろう』

「『サクラの巫女』は悪魔と契約することで調停者としての資格を得る」
 「サクラ」として過ごした中で幾度となく聞いたその噂。誰も本気で信じていたわけではないだろう。「サクラの巫女」はただの人間ではないのだと、その聖性を裏付けるために「悪魔」が引き合いに出されているだけだ。少なくとも、少年はそう考えていた。

『あの噂が事実だとすれば、巫女もまた悪魔を身の裡に飼っていることになる。おまえの会いたがっている少女に限らず、過去に巫女と呼ばれた者たちすべてがな』
「……あれが事実だと言いたいの?」
『事実だ、と言ったところで信じない様子だな。ならば実際に己が身で感じてみることだ。悪魔は同じ悪魔の存在を知覚できる。巫女に会えば、おまえにも瞭然と分かるだろう』

 悪魔のその言葉は、「サクラの巫女」の噂が事実だと肯定していた。
 しかし、だとしたら――、

「でも、なんのためにそんなこと……」

 「サクラ」の属する教会組織は、神を信じ、神の国の実現を目指している。そんな教会にとって、悪魔はもっとも憎むべきもののはずだ。

『教会の翳す光だけでは、この世の闇を鎮められんということだ。毒は毒を持って制す。この世の闇に属する死者を鎮められるのは、また同じく闇に属する「魔」だけだ。おまえたちも病を得たとき、薬でどうにもならなければより強力な毒を用いて痛みを鎮めるだろう。それと同じことを、教会はやっている』
「そんな……」

 少年の属していた「サクラ」も教会組織の一員だ。だから少年もその教義や理念はいの一番に叩きこまれた。
 曰く、教会とは神を信じ、神の国の実現を目指す。
 曰く、神は光である。
 曰く、神はこの世のあらゆるものを照らし、邪悪なる闇を祓い光の王国、即ち、神の国を齎す。
 教会が闇に打ち勝つために、自らも闇を飼っていたのだとしたら……。そもそも神の光ではこの世の闇を遍く祓うことなどできないということではないか。

『毒で痛みを鎮めたとて、病の根源が絶たれるわけではない。気休めに毒を繰り返し用いれば、今度はその毒が身体を侵し始めるだろう。話を巫女に移せば、「サクラの巫女」はやがて、その身に飼った悪魔故に、教会を脅かす存在になる』
「そうなったら、教会はどうする……?」
『分かり切ったことを聞くのだな。そうさなぁ……、手始めに間違いなく巫女は殺されることになるのではないか? 巫女が悪魔を飼っているという話は現状、あくまで噂に過ぎんが、それが事実であると明るみに出たとしたら、否、明るみに出たとしても、教会は巫女を、神に背いた罪人として断じれば良いだけのこと。そもそもはじめから、穢れた巫女など使い捨ての道具に過ぎん』

 巫女は殺される。事もなげに言われたその言葉に、少年は頭を木槌で打たれたような衝撃を感じた。眼球が痙攣して、視界がぶるぶると震えた。
 教会のことも神さまのことも真剣に信じていたわけではないのに、なぜか「裏切られた」という絶望感が静かに広がっていって……、
 それから、沸々と熱い感情が湧き出してきた。
 最初、それがどんな感情なのか、自分でも分からなかった。ひたすら熱く、激しい思いが胸を揺さぶり、周囲になにかがあるなら、それがなんであれ目茶めちゃに壊してやりたい衝動に駆られた。
 しかし、そんな少年の意思を抑え付けるように身体は動かず、少年は代わりに拳をきつく握り締めた。

――ああ、これは怒りだ……。

 赦せない。あの愛らしいチェレスティーナを利用し、挙句、不要になれば容易く投げ捨ててやろうなどと。
 復讐してやりたい。そう思ったことを、心の底から後悔させてやるのだ。
 壊したい。チェレスティーナを縛るすべてを壊して、もう二度と、彼女に手を出すことができないように。
 そうして、彼女を助けたい。
 そうするには、どうするのが一番良い選択なのだろう。
 怒りに鼓動は逸るのに、頭は反対に冴え冴えとしていくようだった。
 そして、最良と思える一つの方法を導き出すと、少年は悪魔に問いかけた。

「……一度身に宿った悪魔を、外へ追い出すことはできる?」
『ほう。……できる、と言っておこうか。ただ、巫女に宿る悪魔は、代々の巫女の命を糧にして並々ならぬ力を持っておるだろう。追い出そうとするなら、相応の覚悟が必要だ』
「……僕はあの子を……チェレスティーナを助けたい。そのために覚悟しろっていうんなら、いくらでもする」
『なるほど。悪魔を追い出すなり倒すなりすれば、「サクラの巫女」の因習からおまえの思い人を救えると考えたわけか。悪くはないな。やってやろうと言うなら、わたしも協力は惜しまぬ。なかなか興味深いものが見られそうだ』

 楽しげに発せられた悪魔のその言葉に、少年は驚いて問い返した。悪魔が少年のやろうとしていることに、そんな前向きな反応を示すとは思わなかったからだ。

「君はいいの? 僕は悪魔を退治すると言っているんだよ?」
『同じ悪魔を殺すことになるかも知れぬからか? 人間にだけは心配されたくはないな』
「……確かに」

 悪魔の切り返しに、少年は思わず笑みを漏らしてしまった。

「悪魔を宿主から切り離すにはどうしたらいい?」
『ふむ。まずはなにより悪魔を表に引きずり出すのが肝心だ。巫女が死者の魂を鎮めるのに悪魔を使うのならば、こちらでその条件を揃えてやれば良いのではないか?』
「……どうやって?」
『わたしが手を貸してやるさ。わたしは死者に呼びかけることができる。……おまえにしたようにな……。墓を暴き死者の魂を呼び覚ましてやろう。墓荒らしの事件が相次げば、巫女も直々に動かざるを得まい。そして悪魔を呼び出したところで、巫女と悪魔を分断すれば良い。言うほど易くはないが……周到に事を運べば不可能ではない』

 少年は頷いた。悪魔の存在がとても心強い。
 最終的に目的を果たさなければいけないのは少年自身だが、悪魔の力添えがあるならなんでもできるような気がした。
 否、できるかできないかの問題ではもうないのだ。
 少年自身がそれを望むか望まないか。未来を決めるのはその一点だけだ。
 少年は、そっと自分の胸に手を当てた。そこに宿る存在をいとおしむように。
 そして、一つの身に宿ったことへの親しみと信頼を込めて、その名を呼ぶ。

「僕は頑張るよ。よろしくね、ビフロンス」
『ああ、こちらこそ。……エルネスト』

 エルネストは、身体中に活力が満ちていくのを感じた。
『なにかをしたいと強く願う願望がおまえを生かす原動力になる』。確かにその通りだ。
 さて、まずは人並みに外見を整えなければならないだろう。身体は生前と変わらない容姿を取り戻していたが、着ているものは土にまみれほとんど意味を為さなくなったボロ切れと、それを隠すためのマント(これも土まみれで、多分墓から掘り返したものだ)だけ。
 先立つものもありはしないが、どうにでもなるだろう。正当な取り引きをせずとも物を手に入れる手段ならいくらでもある。エルネストはもう、人間ではないのだから。



 最初の墓荒らしが起きたその日から、各地で連続犯行的に起こった墓荒らし事件。現場に残された手がかりから、それを悪魔の犯行だと断定した「サクラ」が、巫女を中心にその解決に乗り出すまで、そう時間はかからなかった。
 そして秋の深まりかけたある日の明け方、二人は邂逅し――、――――。



2011/06/05 初出