ハッカ飴のはなし

 カラコロと音を立てて手の平へと降ってきた一粒。なんの疑いもなくそれを口に含んで、激しく後悔する。
 口に広がる得体の知れない苦味と、鼻へ抜ける薬品のような匂いに、たまらずそれを吐き出してしまった。
 不透明の白いドロップ。ハッカの味を初めて知ったときのことだった。
 赤、黄、緑、紫……宝石のように綺麗な飴玉たちは、どれも優しく甘いというのに、真っ白なその粒だけは、到底食べ物とは思えない刺激物の味がする。
 ――きっと、製造段階で異物が入ってしまったのだ。
 そのときのわたしは、真剣にそう考えていた。



「……信じられない」
 時を経た今、未だにあのときの、文字通り苦い体験を忘れられないわたしは、新たな事実を前に言葉を失っていた。
 小さな頃、買い与えられては宝物ように大事にしてきたドロップ缶。色とりどりの飴玉と、それらが缶の内側で揺れる音に夢中になった。しかしそれらはすべて、ハッカというクセモノの存在を除外してこその良き思い出である。
 しかし今、目の前に突き付けられた現実は、そんな幼い頃からのわたしの正義感を覆すものだった。
「ハッカ飴!?」
 思わず叫んでしまってから、慌てて口を塞いで周囲をうかがう。幸い、目につくところに人はいなかった。お昼時を少し過ぎたスーパーマーケットは、店内BGMがやたらと大音量に感じるくらいの平穏さだ。
 それよりも問題は、棚に陳列された「それ」である。袋入りの飴玉が種類豊富に取り揃えられた商品棚に、「それ」はなに食わぬ顔で鎮座ましましていた。
 透明な袋に白字ででかでかと「ハッカ飴」と印字された、ごくごくシンプルなパッケージの中には、これまた透明な個包装の中に白い球状の物体。思わず口の中に、過ぎし日の味と香りが蘇る。
「彩花、決まったー?」
 衝撃の事実に立ち尽くすわたしのもとへ、別のコーナーで買い物をしていた女友達がやって来た。菓子パンの袋を二つとジュースのパックを、無造作に手に持っている。
 彼女は、商品棚に向かって驚愕しているわたしの視線の先を追いかけ、
「あ、ハッカ飴じゃん。なつかしー!」
 どことなく喜色を含んだ声で言った。
「わたしこれ大好きだったんだよー」
 そして続いて飛び出してきた彼女の言葉は、事態を飲み込めないわたしをさらにフリーズさせるたぐいのものだった。
「え、なに、なんでそんな怖い顔で見てんの」
 反射的に向けた友人への視線。その先で彼女は、わたしの顔とハッカ飴を交互に見ながら戸惑った表情をする。
「……未美、ハッカ好きなの……?」
 その質問をするのは、わたしにとってどれだけ勇気のいることだったか、ぜひ察してほしい。そして、彼女が平然と肯定したときの心の機微も。
「うん。ほら、小さい頃みんなドロップ缶買ってもらって喜んでたじゃん。わたし、あの中でハッカ味ばっかり選んでたなぁ」
 おまえは宇宙人か。
 高校入学以来の親友だと思っていたが、今の彼女とはそもそも言葉が通じる気がしない。
「ハッカってあれだよね? 白くて苦くてすーすーするやつのこと言ってるんだよね?」
「当たり前でしょ。ほかにどんなハッカがあるっての」
「あれって食べ物なの? お煎餅の袋とかに入ってる薬品みたいのの仲間とかじゃなくて?」
 早口に言ったわたしの前で、未美は「微妙」と表現するほかない表情をしたかと思うと、
「ぶっはっ……!」
 いきなり噴き出した。
 そして、無駄に軽快なBGMに支配された店内を、彼女の爆笑がしばし掻き乱す。
「え、彩花あれ食べられないと思ってたの? いっしょに缶に入ってんのに? まじで?」
 爆笑のあいだに挟まれて、未美はわたしの常識の壁を打ち砕くセリフを吐き続ける。
 ますます混乱してぐうの音もないわたしの前で、ようやく彼女の爆笑は沈静へと向かった。
「彩花、ハッカ嫌いだったんだね」
 目元に涙すら溜めてわたしを見る未美。なんだかわたしも泣きたい。
「だって、飴って甘いもんでしょ。メロンとかぶどうとか。その中でいきなりあれ食べたらさ、なんかさ、ショックじゃない? 薬みたいな味するし」
「そう? わたし小さい頃からあの爽やかな感じが好きだよ。ハッカ飴だけじゃなくて、チョコミント味のアイスとかも」
 そう言われれば、確かにアイスクリーム売り場では、ミント味のアイスは一定の市民権を得ている。しかし、それが定番だと言われても、ミント味というのはどうにも想像しがたくて、手を出したことはない。
「わたしがハッカばっかり食べるから、いつからか、ドロップ缶買ってもらうときはハッカ味だけの缶々になってたし」
「え!? ハッカだけの缶もあるの?」
「あるよー。これぐらいの規模のスーパーにはないだろうけど、けっこう当たり前に売ってる。白と緑のパッケージでね、中身も同じハッカだけど、白色と緑色があって……」
 宇宙人の食べ物か。
 同じ日本人の、いや、人間の味覚とは思えない。だけど、ハッカだけのドロップ缶や、当たり前に売られているハッカ飴があるということは、そこに一定の需要があるということだ。
「……もしかして、味覚がおかしいのはわたしのほう……?」
 鎌首をもたげてきた疑問に、わたしは寒気すら覚える。わたしの身体は、ハッカに対して過剰な拒絶反応を示してしまう特異体質なのでは、と。
 深刻な妄想に走るわたしの横で、未美はからからと笑ってわたしの肩を叩く。
「そんなことないって。ハッカとかミントとか、最近だとキシリトールのなんとかってやつも。好き嫌いが分かれやすい味ってだけだよ。確かにドロップ缶にはハッカ味入ってるけどさ、ふつうの飴の袋にはいっしょに入ってないでしょ。そんで、こうしてハッカだけで売ってると。つまりそういう嗜好品ってことだよ、ハッカって」
「ふぅん。そっか……」
 誰もが受け入れられるものでもないが、好きな人もたくさんいる。そういうことなのだろう。
「わたしが抹茶味好きで、未美は嫌いってのと同じかな」
 わたしは抹茶アイスとか、抹茶味のチョコやクッキーには目がない。そんなわたしの横で、未美はいつも渋い顔だ。
「そうそう。あれってなんでそんなに流行ってるんだろうね。ぜんっぜんわかんない!」
 未美の頭の中にもきっと、抹茶味のなにかにまつわる苦い思い出が渦巻いているのだろう。わたしは思わずくすりと笑ってしまう。
「あんなの宇宙人の食べ物だよ! あの緑色がいかにもそんな感じだし」
 一人で饒舌に抹茶味批判を続ける友人を横に、わたしはもう一度ハッカ飴の袋を見た。
 きっとこの先もハッカを好きになることはないだろうけど、それでも、少しだけその白い飴玉には親しみを感じている。



2013/05/04 初出