AIは合成甘味料の夢を見るか

 「りんごあめが食べてみたい」と君は言う。真夏の風の凪いだ夜のこと。とうに室温になったコーラのペットボトルを開けると、随分と気の抜けた音がした。炭酸の気は生きているけど、どこかやる気なく喉を通り抜けて腹の底を目がけて落ちていく。
 恐らく、水の次くらいに世界一ポピュラーな飲み物。素っ頓狂な味なのは、きっとこれが中毒性のある薬物だからだ。身体には害悪だと危険視されつつも、法律はこの薬物を裁けない。世界に蔓延した、清涼飲料水という名の合法麻薬。
 三度ほど喉を潤して、ペットボトルをディスプレイの脇に置く。僕は筆を取って、君のリクエストに応えるべく、りんごあめの「創造」を始める。やれやれ、どこで「りんごあめ」なんて言葉を覚えてきたのか。
 筆を使って細密に、りんごあめを描いてみる。形は丸い飴に棒を刺した簡単なものだけど、あの透明感と質量を出すのはなかなか難しい。二次元の平面世界で再現しようとするならなおさらで、僕は光と影のあんばいを意識しながら赤い食べ物を再現していく。
 赤く艶やかな飴が描き上がったところで、僕はその完全無欠な球形の一部を削って、中のりんごを露出させることにした。君は「りんごあめ」の言葉を知っているだけで、実際に現物を見たわけではない。だったら、君にとってりんごあめがどんなものであるかをはっきり理解させるために、中身を見せる演出は不可欠だ。
 君がもっとも想像力を拡げやすい方法で、僕は君にりんごあめを提示する。
 だって、君は実際にそれを食べるわけではないから。当たり前だ。二次元世界に描いた薄っぺらなものなんて、それがどれだけ写実的に描いたりんごあめだとしても、食べられるはずがない。君はただ、それを見て想像するだけ。
 僕は、完成した絵に、君専用の言語で味と食感の情報を付加する。それで、りんごあめは完成。
 僕は、完成したりんごあめをデータ変換して、ディスプレイ上の君へとドラッグ&ドロップする。受け取ったりんごあめを大事そうに両手で持ちながら、口を寄せるしぐさ。満足を表すハートマークを浮かべたら、リクエストは完遂だ。
「ありがとう」と君が言う。
 ディスプレイに表示されるダイアログボックス。それが、君と僕とのコミュニケーション手段。
 君の姿は、デフォルメされた二足歩行の動物の姿をしている。本来は姿かたちを持たない君が、僕とコミュニケーションを取りやすいようにと疑似で作り上げた便宜上の存在。近頃ではそれをアバター、と言い習わす。
 いつの間にか僕のパソコンに棲みついた君は、アバターの姿をとって僕とコミュニケーションを取るようになった。君は興味の赴くまま、脈絡もなく質問を発して、僕に答えを求める。僕は、ペイントツールと、乏しい知識の君専用のコンピュータ言語を使って、君の要求に答える。
 君のバックグラウンドにあるのは、広大なネットワークの海。君はそこからランダムに単語を拾い上げて僕へ問いかけているらしい。ネットワークの海には、その問いへの答えも浮いているはずなのに、君はどうやら、僕の描く答えを欲しがっているらしい。まあ、これは僕の思うエゴだけど。
 僕は筆を置き、コーラのペットボトルを再び手に取る。軽く煽ると、ぬるい泡が口ではじけて、鼻にほんのりと薬品の匂いがした。
 コーラを少し多めに口に含んで飲み下し、ふぅ、と溜め息をつくと、パソコンのスピーカーから短いアラーム音が鳴った。君が僕を呼ぶ音だ。
 ディスプレイに表示されたダイアログボックスに、僕は不覚にも一瞬、思考を止めてしまった。
 君からの質問は新手の方法で、そこに表示されていたのは文字単体ではなく、画像と文字の複合した質問だった。画像を提示し、「これはなに?」と問うている。
 そこに表示されていたのは、見覚えのあるラベルを巻いて、見覚えのある色の液体を満たしたペットボトル。それは、今まさしく僕が手にしているコーラと同じパッケージだった。
 画像はおそらく、ネットワークからの拾いものだろう。メーカーのサイトにあるようなものではなく、素人が個人的に撮ったと思しきもの。
 きっとただの偶然だろう。僕はそう思いつつも、少しだけ疑問と恐怖を感じる。君には、僕が見えているのか、と。けれど、それを君に訊ねることはできない。君と僕の意思疎通は質疑と応答の役目が明確に分かれた一方通行のもので、質疑は僕の領分ではない。無論、その気になればこちらから質問を投げかけることも可能ではあるが、果たして今の君に、正常な応答の手段があるかどうかは怪しい。
 思考停止の次の刹那の逡巡のすえに、僕は、君との質疑応答を続けることにした。
 それにしても、さて、これは難問だ。口の中で弾ける炭酸の刺激と、あの中毒的な薬物の匂いを、僕の持つ数少ない表現手段でどうやって再現したらいいだろう。どうせなら、完璧に再現してみたい。
 一つだけ、とても気になる事柄があるのだ。
 純然たる思考回路である君は、果たしてこの合法麻薬の中毒者となり得るのか。その解や、如何に。



2015/07/18 初出
Twitter企画「#深夜の真剣物書き120分一本勝負」参加作品
お題:「りんごあめ」「ダイアログ」「コーラ」