近頃の神様は

 秋のからっ風のなかを、石段に座り込んで剥き出しの膝小僧をさする。今日は体育も書道の授業もない日だから、荷物は少ない。それ自体は良いことなのだが、風から身を護る防具が減るのはつらい。明日からカーディガンを着ようと心に決める。
 大体、いつもならこちらが来るのを待ち構えているくせに、今日に限って待たせてくるとはどういうつもりなんだろう。それとも、今日はもう現れないつもりなのか。吹きさらしの屋外で一人きりの心細さを怒りに変えながら、わたしはあいつを待っている。
 登下校の道すがらにある神社は、石の鳥居から拝殿までがやたらと長て、土地の広さだけは立派なのに、建物はボロボロだった。参道の玉砂利は定期的に掃除されて綺麗だけど、その両側にせり出した鎮守の森の木々たちは鬱蒼として不気味。かつては由緒を記していたらしい掲示板は、その表面が削れてもう読めない。
 ほんの三年前、小学生中学年くらいまではここで毎日、友人たちと遊んだり待ち合せたたりした。親も先生もいない、子供だけの秘密基地。神主のおじさんやお掃除のおばさんは優しくて、運良く出会えればお菓子が貰えた。
 それが今は、学校帰りのこの時間でさえ人っ子一人いない。わたしたちが卒業したその年にこの神社で子供同士の派手なケンカがあって、それで小学校は神社で遊ぶのを禁止した。「ケンカ」なんていうけど、本当の原因はいじめで、いじめられっ子がいじめっ子たちにリンチを食らったんだって、みんな知っている。
 わたしたちの思い出の場所でなんてことをしてくれたんだと、そのときは怒りでいっぱいだった。
「ときこーーーー!!」
 わたしの名前を呼ぶ大声に、はっと顔を上げた。その声はなぜか拝殿の奥からではなく、参道のほうから聞こえてきた。
 大きな小学生か小さな中学生かという感じの女の子。パーカーとスカートというオシャレのかけらもないスタイルで、肩から提げたポーチをぱかぱか鳴らして走ってくる。
「やっちゃった遅刻だ!時子、待った?」
「待ったよ」
 女の子はわたしの座る拝殿の石段を一段飛ばしに駆けのぼって、わたしの隣に腰かけた。典型的なおかっぱ髪に野暮ったい服装。昭和かよ、と思うような子だった。昭和の子がほんとにこんなだったかは正直知らないけど。
「聞いてよ時子!電車の切符買おう思って駅に行ったんだけど、窓口の人、『小学生ですか?』だって!初めてだよ、子供料金」
「電車の切符?」
「そ、切符買いに行ってたの。もうすぐ神無月の集会があるから、出雲に行くのにさ」
「え!出雲行くの?」
「そりゃ行くでしょ?あたし神様なんだから」
 当たり前のように、女の子が言った。
 わたしが今年の初めにこの神社で出会った女の子は、なんと自称「この神社のご祭神様」だ。……といっても、実はマジメには信じていない。だって、ごくごく普通の女の子の姿で出てきて、幽霊みたいに透けてるわけでもないし、なによりこの子が不思議な奇跡を起こしたりするのを見たことがない。頭のイタイ子なのかな、と思いつつも、出会ったその日になんとなく仲良くなっちゃったから、今もこうして会っている。
「神無月には全国の神様が出雲で集会やるって、親に教わらなかった?」
「や、それはなんとなく知ってたけど……電車で? 空とか飛んでくんじゃないの?」
「ややや、それは無理! 自力で空飛ぶの大変なんだよ?今どき誰もそんなリッチな力の使い方しないって。伊勢の大神様とか道真ならできそうだけど、そういうリッチな方々は舎弟もいっぱい引き連れてかなきゃなんないし、やっぱ飛行機チャーターして来るんじゃないかな?」
 どうしよう、ツッコミどころが多すぎる。
「大体、出雲じゃなくて東京かどっか都会でやれってのよね。東京にだって支社あるんだしさぁ。岡山まで新幹線で行って、そっからさらに特急やくもに乗り換えて三時間だよ!絶対時間かかり過ぎ!」
「そんな遠くまで行ったことないからわかんない。ほら」
 いつの間にか一人で怒っている女の子に、わたしはいつもの「お賽銭」を差し出す。「お賽銭」と呼んでいるだけで、お金じゃない。給食で出てくる牛乳だ。
 むっすりとした顔で出雲の神様の悪口らしきものを呟いていた女の子は、青と白の小さな紙パックに、ぱっと表情を明るくする。
「やったー!待ってました!」
 飛びつかんばかりの勢いでわたしの手から牛乳パックをもぎ取った女の子は、次の瞬間にはもう付属品のストローを袋から取り出し、差しこみ口の紙をめくってストローを差している。口を付けて吸い上げる顔は、ここまでかというほど嬉しそうだ。
 息継ぎせずにごくごくと喉を鳴らして、おそらくほとんど量を飲み干してようやく「ぷっ
はー!」と盛大な息をつく。
「うまい!」
「ビール飲んでるオヤジかよ」
 出会ってすぐの三学期。嫌いで嫌いでどうしても飲めず、こっそりと持ち帰っていた牛乳を試しに女の子へあげてみたら、目を丸くして「うまい!」とのたまった。それ以来、こうして毎日牛乳を配達するのがわたしの日課になっていた。春休みや夏休みは仕方ないから、三日に一回くらいスーパーで買ってきて届けた。
「ちょっと前までなら、ビールとか酒のほうがうまかったんだけどさ。からだが小さくなってからは無性にこれがいいんだよねぇ」
 しみじみと女の子が言う。
 本人曰く、どうもここ数年ぐんぐんとからだが子供に戻り始めているんだとか。原因はわかっていて、毎年やっていたお祭りが、資金不足と住人の高齢化でままならなくなって廃止されてしまったから。神社が寂れ、人の心が神様から離れていったせいでご祭神の力は弱まった。力の弱い神様は、こうして子供の姿になってしまうことがよくあるそうだ。
「牛乳飲んだらまた大人になれるかな?」
 わたしが聞くと、「これは成長じゃないからなぁ」と笑う。
「あたしよりむしろ時子が飲まないと。時子、チビだもん」
「まだ伸びるし」
 遠慮のない言い方でコンプレックスを指摘されて、わたしはむっとした気持ちになる。どうせわたしクラスで一番のチビ助だ。
 でもそれはきっと牛乳のせいじゃない。乳製品アレルギーの友達は牛乳飲めないけど背は高い。それに、牛乳じゃなくてチーズとかヨーグルトでもいいはずだ。
 ヨーグルトは好き。スプーンに載せても形の崩れない固いやつ。冷たくて甘酸っぱくて、やみつきになる。おいしいし、からだにもいいらしいから一石二鳥だ。牛乳なんかよりよっぽど優秀。
「出雲にでかけてるのってどれくらい?」
 牛乳配達をストップしなきゃいけないなと思って聞く。
「一ヶ月ちょっと。十月の終わりに出て十二月の初めに戻って来るよ」
「そんなにいないの?」
 集会だと気軽に言っていたからなんとなく二泊三日くらいかなと思っていたけど、十月いっぱいを「神無月」と呼ぶのならなるほど一ヶ月だ。
「まあ別に同窓会みたいなもんだから、ぶっちゃけ行っても行かなくてもいいんだけど。神格の高いお歴々さえ揃ってれば、あたしみたいな弱小神社の神様なんていてもいなくてもおんなじだしさ」
「そんなに軽いもんなの?」
「軽いってかさ、茶番なんだよね。大昔の国譲りのデモンストレーションやったりとか。会議にしたって、やっぱり発言力あるのって力のある神様だし。ま、ここにいるよりも人にはよっぽど敬ってもらえるから、それは楽しいんだけど」
「なんていうか……神様ってユルいんだね」
「ユルいよぉ。むしろ人のほうが延喜式つくったりマメなことするなぁ、って感心しちゃうもん。毎日甲斐甲斐しくお世話焼かれてみたら、そりゃ神様だってちょっとは仕事しなきゃと思うよねぇ」
 それが神様の本音か。
「でも、そうやって今度は神が人に依存しちゃったから、こういうことになっちゃうわけで……」
 そう言って女の子は、今や空っぽの牛乳パックを持つ腕を掲げる。わたしは後ろを振り返って拝殿を見上げた。塗装が剥げ、風雨に削られ色を変えた木材があちこちにあって、ブルーシートを巻いたり金属のストッパーで固定している柱もある。正直、その姿は痛々しい。
「人は自由になって強くなった。人が掲げる信教の自由ってのは、信じるものがいらなくなったからこそ生まれたんじゃないかって思うんだ。ほんとにつらいとき、信じるものを選ぼうとする奴はいないよ。気まぐれな仕事しかしない神よりも、自分の手でなんでも確実にやってやろう、って考えたんだ」
「なんていうかさ……それって、神様からしたらどうなの?」
 なんでも自分の力でやってやろうなんて、それまでの長い時間、人に頼られてきた神様からすればよっぽど生意気なことなんじゃないのかな。
「んー、神もいろいろだから『こうだ!』ってのは言えないけど、だけど、人がどんな道を選んだってただ見守るのがあたしたちだよ。神ってのは、根本的に人を恨んだり憎んだりはできないんだ。みんな、可愛い子供みたいなもんだから」
 十二、三歳の外見で言うにはおかしな言葉。たとえほんとはイタイ子でも、なかなかいいことを言うんだな、と改めて見直す。その中身が何千年も昔から存在してきた神様だと、納得しちゃいそうな感じ。
 ほんの少しのあいだだけしみじみとしていた女の子だけど、マジメなことを言ったのが気恥ずかしかったのか、しんみりした雰囲気を吹き飛ばすみたいに、ぶんぶんと大きく頭を横に振った。
「なんか寒いし、今日はもう帰りなよ。また明日!」
 言われてわたしはようやく、身体が芯から冷えていることに気が付いた。指先は青白くかじかんで、冷え切ったからだはもう身震いも起きない。立ち上がろうとする足に力を込めるのに、やたらと時間がかかった。よいしょ、とやたらと気合いを入れてようやく立ち上がれた。
「また明日。ばいばい」
「ばいばーい!」
 階段を降りるわたしを、女の子は座ったまま手を振って見送る。
 わたしは、参道の途中で一度だけ後ろを振り返った。
 薄暗闇のなか、ボロっちい拝殿の石段に腰かけた女の子は、淡く光を放っているように見えた。