玉砂利の庭に据えられた舞台上で、男装の娘が一人、舞っていた。金色の冠にとりどりの花を挿頭(かざし)にして、紅白の装束。笛と鼓の音に身を委ねるように伸びやかな所作で、手にした舞扇をたおやかに振るう。化粧を施し個性を消した顔は凪いで、表情のあるようなないような、喜色にも憂いにも、見る者の心を映して変化した。細い指の先、白足袋の縁(へり)まで、その姿は見る者の溜め息を誘うほどに美しかった。
笛の音がぴたりとやむ。鼓は続きつつもかすかに消えかかるほどに音をひそめ、その一瞬だけ、舞う娘の存在だけが、舞台から、その背後に映る世界のすべてから浮き立って見えた。人の世に重なる、人の世ではない、もっと神々しい世界を、集う者たちは娘を介しておぼろげながらに見たのだ。
その蕩けるような夢うつつの泡沫をパチンと割るように、鼓が高く音を響かせた。そして、世界は一変する。
鼓の音に乗るように、娘が高く飛び上がった。着地する音がドン、と、檜の舞台を打ち鳴らす。神を移した巫女の舞から、瞬時に鳥や獣がごとき荒々しい畜生の動作へ、娘は、遥か高みの神の世界から、階(きざはし)を一気に下って現世へ降りてくる。舞台上を所狭しと駆けるように踊り、跳ねる。一層高く跳べば、装束の袖が、白鳥の羽のように大きく翻った。天を目指して跳ねては地へ舞い落ちる。それは、神を求め空に焦がれつつも、この世の穢れを脱ぎ捨てきれず地を這いずるばかりの、人と畜生たちの姿だ。
娘の舞は、集う貴族たちを大いに満足させて、打ち鳴らす柏手(かしわで)のうちに幕を閉じた。
「西国の遊女(あそびめ)は素晴らしい」
と、貴族の誰かが言った。
舞台上に立ち尽くす娘のもとへ、ぞろぞろとほかの女たちが集まり、横一列に並んで観客の男たちと相対する。「遊女」とは、旅に生まれ旅に死ぬ、芸能をなりわいとする女たちのことである。一つところに留まらぬために「遊ぶ」女と称する。それは未だ、塀に囲まれた廓に咲く花の意味を持たなかった時代のことだ。
舞を舞った娘は、居並ぶ女たちのなかでももっとも若く、未だ、初潮を迎えたか否かというほどだ。ほかの女たちが芸事の傍らに男たちに意味ありげな視線を投げるなかにあって、娘だけは真っ直ぐに、御簾で隠れた首座を見上げていた。
「すめらのおおきみ様」
娘が声を上げた。重さのまったくない、どこまでも天に昇って響き渡りそうな子供の声。無邪気で、それでいて幼い悪戯っぽさを滲ませて、娘は言う。
「おおきみ様の御心は、この秋の空のように明るく高く、……そして透明なのだとおうかがいしました。それは、おおきみ様が澱みのない目で、この世を見晴るかすために透明なのだと」
娘は自信に満ちた声で、息継ぎもそこそこに語りかける。幼さゆえの無知を装い、勇猛を振りかざすように。
旅に生き、己が身と芸能を信ずるのが遊女。彼女たちは世を生きるすべをはっきりと心得ている。そうでなければ、女から男へ、権威の座が移ろいつつあるこの世に、生きてはいけない。権力の座にある男たちが迷信深く、神に近しい芸能者である女たちをあがなうことさえ織り込み、それでいて、決してその権力の内側へ囚われないことが、彼女たちの生き様だ。
芸能という確固たる武器を持つ女たちの領分は、いかな高貴な男であろうと易々とは侵せない。
「すめらのおおきみ様。あなた様の公明正大なお心に、わたしは色を添えることができましたか?」
2015/11/27 初出
Twitter企画「#深夜の真剣文字書き60分一本勝負」参加作品
お題:「透明な想いを色づけたい」「蕩ける現実」「廓の花」